近所の歴史散歩

こんにちは。ヴィンテージ事業部、リノベーションプランナーの中島です。
今回は、我が家の趣味の、近所の歴史散歩について;

先の休日、家族でお蕎麦を食べにゆきました。
主人がその前日、職場の近所の銀座で食べた胡桃蕎麦が美味しかったそうで、近所にそんな蕎麦を食べさせる所はないか検索したところ、一軒だけありました・・・店は習志野は京成大久保駅付近。店名まんまに「くるみ庵」。
知りませんでした。地元では何ともやや人気名店の佇まい。で、ナビで場所を確認すると、非常に気になる記述がある・・・あら、その店の目の前の公園「騎馬隊旅団総指令部跡」と書かれているではないの。やや胸を高鳴らせて店に向かいました。
店は、長野産のホソウチ蕎麦、天ぷらもなかなかな満足なものを出す店で大当たり・・・また来ようと皆で店を出、そのまま早速目の前の道を横切る。
これただのわが家の習性かもしれない、何かあると感じると、申し合わせたよう、当たり前のように、皆公園の方に渡っていた。

公園には大きな一枚石の碑が建てられていて、その脇では、何事もなかったように、小さな男の子たちがやんややんやと遊んでいる。
「強者どもはゆめのあと」とは将に・・・等と、感慨に暫し浸っていると、隣で娘がトイレに行きたいと言い出した。

トイレ・・・近所のコンビニを探しに、志し途中のまま暫しその場を離れるも、公園に隣接した老人ホームを過ぎた頃、市民センターの入り口が顔を出した。
「お!」と思い急ぎそこに入館。流石皆に解放された暖かい空間・・・。でトイレ、ありました。間に合った、よかった。

で、その後娘とトイレから出ると、向こうで主人と息子が私を呼んでいる。「ママー」と呼ばれるままにそちらへ向かうと、二人は嬉々としながら壁に貼られたこの辺の戦中の航空写真を眺め、「ここがあそこかな?この辺がうちか?」ーと盛り上がっている様子。
そこに自分も加わり粒さに眺める事数分後、背後より急に「・・・それはこの辺の、昭和22年の航空写真何ですよ」ーと優しい初老の人の声がした。
吃驚したまま後ろを向くと、何とその方は、後で知ったのだが、この辺の町歩きのボランティアガイドさん。
「いやぁ、呼ばれたのかもしれぬ」・・・主人息子と共に更に嬉々として、今までこの辺りの土地・歴史でやや疑問に思ってたこと、彼に自然と次々に聞いていた。

彼は・・・本当に良く何でも知っていた。そのニッチな知識たるや驚く程。
「坂之上の雲」ごっこ止まりの私たちの限られた情報の外・・・「この辺、これだけ多くの若い男が集められて、遊び場とかなかったんですか?」なる、主人の男らしい質問にも、即座に綺麗な回答が返ってくる。

ー「ええ、この周辺にはなかった。ここは当時の明治の終り頃、所謂開発されたばかりの新しい土地だった訳ですよ。騎馬隊誘致に基づく今で言うニュータウン。それに、先に目黒の駒場にあった近衛騎馬連帯をこちらに移転させた経緯もあって、赴任してるのは皇族、華族のご子息も多く・・・そういった場所はもうけられなかったんでしょう。そう、でも駅の周りに数件だけ、カフェぇはありました。カフェぇ、ご存じですか?給女さんが着物に白いエプロンして・・・。それに、行きたい人は船橋大神宮のほうへ行けばいい。あそこ周辺は、江戸時からある一大遊郭場でしたから」ー余りにも納得のゆく返答ばかりに、私は感心のあまり、グウのねも出ない。
その後、この市民センターの建物自体の場所が将に、騎馬隊旅団指令部の建物があった場所と聞かされる。

「怖い・・・何処までつれて行かれるのだ、私達」

そう思いつつ、やおらこの館を後にした。

でも実は、私以上にこの経験を感慨深く受け止めていたのは、主人であったと後で気づく。

その帰り道、先のガイドさんに説明された通り、当時の総指令部長官、「坂之上の雲」でも恐らく2番主人公となる秋山好古が、内地に行ってない時には毎日馬で通ったであろう道
(先の地図上、その道しか道がなかったから)を、主人は足跡を辿るかのよう、運転して帰る。
習志野高校前-三山-二宮神社の前を通り、薬円台迄抜ける道・・・。
ー馬用なので、今でも消して広くない道。

で、その後は流石に女人禁制の世界になっちゃうんです。
ーあぁ、歴史を紐解いてゆくと、たまにあるのだ。この、女だけ仲間外れな寂しいモノ感・・・。

その後も再度秋山好古の人生について読み返している主人にだけ、
「実は昨日2月9日は、俺の誕生日だったんだ」
ー好古はそう、そっと、そう漏らしたのだった。

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